今、当たり前のようにクリニカルパスや医療の標準化について話をしていますが、私がクリニカルパスという言葉を耳にしたのは1997年11月のことです。当時勤務していた八尾徳洲会病院で日帰り手術センターを立ち上げることとなり、湘南鎌倉病院に見学に行きました。そこで運営システムの話でパスが話題になりました。何のことか解りませんでしたがマネジメントツールのことらしいということだけ解りました。そこでパスについて勉強しました。 年が明けて1998年、手術部の看護師長、日帰り手術センターの看護師長といろいろ原案を練り、1枚の紙に患者のデータベースがあり、横が時間軸で、縦に投薬、輸液、観察項目、看護ケア、異常時指示などが明記され、右端に退院時のアウトカムが明記されたパスの原型ができました。これを日帰り手術センター運営会議にかけて日帰り手術に関係する全職種とともに議論してできたのが記念すべきパス第1号でした。日帰り手術センターで扱う「そけいヘルニア(小児・成人)」「痔疾患」「下肢静脈瘤ストリッピング」が作られました。運営会議は今から考えればパス委員会の役割を果たしました。2月に日帰り手術センターがオープンしパスの使用が始まりました。 1998年はパスと日帰り手術センターの黎明期でした。6月には熊本済生会病院のパス大会見学ツアーに出かけ、また大阪で開催された国立長野病院の武藤正樹先生の講演会にも参加しました。多くのことを学んで日帰り手術センターのパスは発展しました。 その後、腹腔鏡下胆嚢摘出術、胃切除術、結腸切除術、肺切除術など主な予定手術や虫垂炎などの緊急手術のパスもできましたがここで新たな問題点が生じました。オーダリングシステムの導入でした。 当時導入されたオーダリングシステムにはパス機能がなく、パスを使用することに決定すると主治医は担当看護師から「これ入力しといて」とパスを渡されるのです。その瞬間に主治医はキーパンチャーとなってしまいます。こんなもの(パス)誰が使うか・・・といった反発が生まれてしまい医師がパスに非協力的となってしまいました。現在でもアナログ人間を自認している私ですがシステム委員会に「コンピューターなら時系列に並んだ指示が一気に入力できるようになるパスシステムができないのか」とさんざん申し入れ、オーダリングシステムに連動するパスが稼動し始めました。これによりパス適応患者は入院時にパスを選択して入力するだけで内服薬、注射薬、検査、食事、処置などの伝票が入力され業務改善となって診療部主導でパスがどんどん使用されるようになりました。 1999年には日常的な外科疾患のパスはできました。内容を充実させるため病棟看護師と外科医師とのパス会議(当時、名前はありませんでした)が開かれてパス改定が行われました。 2001年3月にて八尾徳洲会総合病院を退職するまで日帰り手術センターと病棟でパスによる業務改善を進めました。
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当時を振り返ると、クリニカルパス学会の存在を知らず、知識や悩みを共有できる仲間も限られ、院内で孤立しがちになりながらもインフォームド・コンセントの充実や標準化した医療の提供、情報の共有化、在院日数の短縮を目指して奮闘していたのが懐かしく感じられます。 その後、相澤病院に移り全病院的にパス導入に取り組み標準化を進めて、導入1年後には入院患者に対するパス使用率が50%に達するようになりました。 そしてクリニカルパス学会を通じて多くの仲間に指導していただき新たな知識を得ることができました。 現在は千葉西総合病院にてまたまたゼロからのスタートでパスを始めようとしていますが今までの経験を生かしてパス学会会員の皆様に教えていただきながらがんばろうと思っています。 次号はパスについて私の師匠である国立病院機構長野病院副院長の武藤正樹先生にお願いします。
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